TAOから宮本常一へ

『TAO』の和太鼓パフォ―マンスに出会いました。

佐渡の『鼓童』に対してこっちは大分の久住。
発信力のエナジー度が高い。
各地の古層には、民族芸能の土壌菌のパワーが
眠っているんでしょう。

文化庁の<文化交流使>なるものに
レナード衛藤の名前がありました。
たしか、鼓童のメンバーだったと、
あらためて鬼太鼓座がブームになった時期を
ふりかえってみることに。
もう30年前です。
林英哲とかソロのスターがでたときのことは、
漠然と
『鬼太鼓座』が『鼓童』に名前がかわっただけの
ことだと思ってました。

正確には、分裂して、両方ともに精力的な活動が
今も続いています。
『鬼太鼓座』を創ったのは、田耕。
そして、田を佐渡にみちびいたのは、
宮本常一だった、ということをはじめて知りました。