ジャカルタの日本人53名虐殺事件

シユツサンイカガ イカニナヅケシヤ

ジャカルタからの電報。
<出産いかが いかに名づけしや>
生まれたであろう我が子を想っての一通が
最後の消息となりました。

この若き父は 虐殺されました。
敗戦の年、ジャカルタで起きた日本人53名集団殺人事件。
戦争中に日本軍が犯した悪逆非道にくらべれば、
わづか53人の虐殺は取るに足りないこと。
事件は極秘の判子を押され、歴史の闇に葬り去られました。
日本の製紙工場責任者であった若き父は特に酷い殺され方をしました。

何十年。誰も口を閉ざしたまま。
アメリカで時効による公文書公開で事件があきらかになりました。
遺骨収集に。
ジャカルタの村はずれ、密林の入り口に53体は埋められていました。
シャレコウベは白いものではありません。
虚ろな穴のあいた黒い髑髏。
この世の空気に触れたとたん、
さらさらの粉となって崩れ散り、風となって消えました。
父が名前もしらなかった子供は、南輝子。

画家であり、歌人である女性と出会いました。
歌集とエッセイからこの歴史的事実と極私的生い立ちを知りました。

だれも知らないところに歴史の闇はかくされ、
2014年、きのうもきょうも
新たな暗い秘密が蓄積されていっています。

中国や朝鮮の闇をいうならば、
日本を覆い尽くす闇はどうなんでしょう。
原発は大きなシグナル。
だったはず。
それでも、この闇は
おろかにもあわれあさはかに。