内田鋼一のごろごろ碗

刺激的な現代アートの作り手がいる。
次はどんなことをしてくれるんだろう。
ふわっと天空からおりてくるような言葉を告げる歌人がいる。
新しい歌集はさぞかし変幻しているにちがいない。

旋律が同じなら、あくびでうんざりし、
あまりに過激な変貌であれば、すぐにノーの合図をだす。
受け手はわがままだ。いえるのは、
どんな顔つきをみせても、腹の据わった奴はいい。
哲学だ。

巷談舎で久しぶりに『内田鋼一』をやった。
富山でいろいろ建築とのコラボをやっているのは
きいていた。力あまれる時は、力仕事がいい。
そんな時期は、ゴロっとした碗を両の手で
ずっしりだくような無骨なものがいい。