能舞台『景清』と野田秀樹『ダイバー』を観て

能『景清』。

シエスタの習慣、体内時計がお昼のは1時間オネムに
なる。それに無呼吸症候群。落語、映画もキツイ。
ましてや、オペラと能は。
観る前から防衛線のはりあい。
「寝てしまうのは気持がええから、それは演者がええから」。
「前で寝られたら、それは自分の技量不足やと演者は反省する」。
まあ、みんな勝手な理屈いいながら、
それでも最前列、正面の階段前に陣取る度胸。

今回は金剛ですが、金春の稽古の過去があります。
学生時代と40代の頃。2回とも短い期間。すぐあきるんですねぇ。

久々の能、笛と鼓の音にしびれます。
これは日本人だけのDNAなんでしょうか。
景清の面は勇猛な武将が盲目の老人となったもの。
衣装も地味。
しかしながら、ドラマチック。
不思議な演劇です。
ただ、このような舞台が五つもの流派にわかれ、
刺激的な革命もないまま持続を良しとするのか。

野田秀樹の新作『ダイバー』も大胆に能をとりいれ、
時空を自在にいききする幽玄空間を現出していた。
能の世界側が毎回古典演目のくりかえしと、能衣装の
虫干しだけでは。
挑戦を。
それが難しいなら、外とのコラボ受け入れを身軽に。