大野道夫歌集をよみながら

現代美術が頓智になっておもしろくない。
では、現代美術は大喜利のようですね、というと
馬鹿にしてることになるのでしょうか?

答えが一つで、そこにおとしこんでいくのであれば、
な~んだ。とんちはわかってしまえばそれでおわりですが、
<大喜利>には、まず出題そのものに
工夫と新鮮なセンスがいりますね。
回答に
ウィットがいる、
ひねりがある、
視点のひっくりかえしがある、
全くちがう回路をみつけだす・・・

シュルリアリスムの面々、
森村泰昌、会田誠、しりあがり寿・・・
みんな大喜利でうんうんうなって
問題と答えの両方をしぼりだしています。

なんで、こんなことを書いているかというと
大野道夫歌集(現代短歌文庫)を読んでいるからなんです。
短歌にはいっぱいの実験があります。
しかし、短歌は言葉でできているので、
色、形、光、重さ、速さ、などとちがって、
言葉の意味でまず解釈されていきます。
内容優先で、文体や音韻の挑戦は
すごく好意的な場合ですら、
一回こっきりの小手先テクニックで消えていきます。
この視点でいえば、俳句はより大喜利的でしょうか。