『ナチスのキッチン』 藤原辰史

『ナチスのキッチン』 藤原辰史

歴史学は過去の出来事のみならず、そのゴミ捨て場から、
実現されなかった可能性を救出し、
それを素材に未来を料理するためのレシピだとする
視点がクールである。

肉の食べ過ぎは病気になると警告し、
その代わりにタンパク質を摂取するには
大豆がおすすめ。
繊維の豊富な全粒粉のパンは便秘予防になる。

これは、2015年の日本のテレビ番組ではなく、
1930年代にヒットラー・ユーゲントの手引書
『正しい食生活で健康に』の内容。
この基本にある理念は
「正しい食生活が健康な国民と兵士を作る」という露骨な表現となり、
食べものの栄養素への還元と健康至上主義は、
ナチ時代の軍国主義と合流することになる。

ヒットラーは死ぬまで禁酒・禁煙で菜食を好んだ。
親衛隊長のヒムラーや総督代理のヘスは菜食主義者。
第三帝国は「健康と清浄な身体に取り憑かれた政権」であった。
自然を火と水によって<食>に変換する人類史の原点から、
ある特種な共同体の建設を試みたことがみえてくる。

この著者は、日本の社会状況をナチスに似ていると
単純に共通項をあげて警告しているのではない。
この星では難民、政治犯、失業者というかたちで社会から排除させられた
飢餓人口が地球全体の七分の一を占めている。
地球全体がナチ化しているかのようだと問題提起をする。
自然界における大気や水の高度な循環システムと同様に、
食の現場である台所に社会の循環システムの鍵をみつけようとしている。

「料理をすること」と「食べること」は、
毎日の繰り返しであっても、芸術と呼ぶに値する美的行為である、
という視点が底流にあるかぎり、
キッチンをめぐる歴史的考察はひとを惹きつける。