“大いなる辺境”の芸能

<能の音楽>をテーマに内田樹が語る、となれば
大いなる興味がわく。

学生時代に金春会のクラブに所属し、
40代でも、金春穂高先生に謡と仕舞を習った経験を
もちながら、いつも爪先でお風呂の湯加減をみる程度で
もう風呂からあがってしまう、繰り返し。ダメ男。

梅原猛の講演があればでかけ、寂聴の小説があれば読み、
機会をつかまえて、港に上陸しては、また流されて。
そうでもしないことには、世阿弥の世界は、いつのまにか
遠国のこととなってしまう。
今回は、いまが旬の内田樹。これはのがしてはなるまい、
とでかけた。
いまさらではないが、能の人口は多い。
歌舞伎は観るものだが、能はするもの。
全く違う芸能だと、あらためておもう。

無呼吸症候群をいつも言い訳にしているのだが、
今回もほとんどコックリ。
内田教授が60歳前に再婚されていて、お相手が
小鼓奏者である、というのが今回の仕入れた唯一の知識
である、というから情けない。
でも、これでいいのだ。
世阿弥の周辺をゆらゆらかいまみる、その時間の
ゆらぎの繰り返しこそが、能のたのしみ方である。