雑誌で1年間にわたって毎月、器と料理対決の企画
があった。10年前。
黒田泰蔵、小川待子、滝口和男ら15人の陶芸家対
野崎洋光、日高良実、河田吉功の和・伊・中の料理人。
実用性の縛りを拒否した器とみてよい。しかし、それが格闘の
結果としてどう受け取られようと、プロセスはそれぞれ。
隠崎隆一は明快。
<前衛とかオブジェとか、形で表現するものになっても、実はすべて道具といっていい。
水指や茶碗が無くても茶会はできる。僕の個展はいつも茶室のつもりでやっている。>
隠崎の器に日高が盛り付けしたタイトルが『鳥類創生』。
ちらし鮨や白菜のスープ蒸しといったレシピが150も並ぶなかで、
これだけが新しい美の誕生の祝祭をみる。
器作家と料理人と食べる客の3者の幸福な出会い。
世沙弥も毎回が茶会の一期一会のつもりである。
そういってしまうのが、もうつまらん。
茶会の精神から遠ざかるようにおもうので、もっと自然に
<食卓をともにできる人がいる幸せ>といいかえてもいる。
今夜は隠崎隆一の2011年新作の三角皿に
<脱皮蟹の泡吹き利休>を盛りつけた。
客人はおもしろがってくれた。
作家が<おなかすいた、といったことと同じ感覚で
土に触っている>。そこからはじまって、
<ああ、おいしかった>とお客様にいってもらえたら、
料理人のよろこびはそこにつきる。