褌一丁で大蛸と踊る父

砂子屋書房<日々のクオリア>から連絡あり。
黒瀬珂瀾さんが和田大象の一首を批評しています。
自歌自注をブログでする恥ずかしい行為は避けてるけど、
今回は丁寧な読みをしてくれているので、
一部紹介させてもらいます。

・ぬるま湯に蛸踊りつつ死を迎ふ快楽のむらさきのこむらがえり

「(略)つまり、作者のサディスティックな視線は、蛸にだけではなく、
むしろ自分を含めた人間たちにも向けられている。
すると『ぬるま湯』という初句も、この現世の比喩のように思えてくる。
美味い蛸を食するため、鍋に湯を沸かす作者、その実、自分こそが
ぬるま湯の中で哀れな踊りを続けているのではないか、そんなことを
思いつつ、美食にいそしむことはすなわち、死の際を愉しむ背徳を
まとった『快楽』なのだ。」

毎年、天神祭が近づくと親父は大蛸を一匹まるまる買おてきました。
すると、ぬめりとりの塩揉みするために、褌一丁になって、
風呂場で格闘をはじめました。
さながら祭りの踊りの練習でした。