河野裕子ブームへの、なんか違うんちゃう

河野裕子が亡くなって1年。
ブームは続いている。
私自身、ここ10年で河野の短歌をおもしろいと
感じ、積極的に評価するようになっていた。
とそれに反比例するように、
文学って、こんな流れになっていいんですか、
というクエスチョンがわだかまっていた。

大松達治の雑誌の時評<スタンダードの傷み>。
そのあたりのことを分析している。

~穂村弘の座談会でのコメントをとりあげている。
要約すると、河野の向日性や自然体が苦手。
結婚、出産が当然、「家」「歩く」などの歌集タイトルにも
抵抗がある。~
それは、創作者として共感できる要素です。
大松はそのうえで現代の日本のスタンダードの変化を
予感している。この点が参考になる。
~出生率が上がらず、失業、未婚がふえるなかで、
穂村の感じる異和感や脅威が遠からず「スタンダード」に
代わる予感はある。~

毒あってこその文学、こんなスタンダードはもう骨董
になるんでしょうね。