<聖地感覚>をよびさませ

・触らせてもらう津軽の木の林檎 : 宇多喜代子

さわらせてもらう。
このフレーズが伸ばした指の先から
一直線にこころにみずみずしくはいってくる。

大地、風土、その土地のみのりをもたらした
土地のヌシである精霊への畏れでしょう。
宮崎駿の『となりのトトロ』です。
新参者が土地のうぶすなにあいさつをする。
そうやって、文化も倫理も宗教も継続してきました。
それがここ半世紀で日本人のこころから
消えていっています。

鎌田東二さんの聖地をかけめぐるフィールドワーク
『聖地感覚』。
足をつかってかけめぐる身体感覚がぞわぞわと
細胞をめざめさせてくれます。

~~月光がなくても、日光がなくても
星明りと、空明りがあるのだ。曇り空だって、
夜の森から見ると、一つの光なのだ。
明るさなのである。~~

古代から「光」を「影」ということは、
言葉あそび感覚の次元ではなく、
実体把握から発生した言葉感覚。
谷崎の<陰陽礼賛>は
日本人のむかしからのDNA。
いやいや、人類創生の感覚だといえますね。