鶴笑がいよいよ化けてきた

化けてきたなぁ。
笑福亭鶴笑を繁昌亭で聞いた。

鶴笑の一席をなんといえばいいんでしょうか。
落語というジャンルのくくりですが、噺を聞く、という
体験をするのではありませんね。
大阪的なひっちゃかめっちゃか、邪道にすぎない、
そんな言われようは覚悟の上でしょう。

今夜の『義経千本桜』にしても
『あたま山』『赤ずきんちゃん』と
ガサツでへたでちゃちな人形を手足全身に
くっつけてガサガサ動かしているだけです。
そのストーリーへの愛着と
そのアホなことしている自身への客観的な視線を
からませてながら、こんがらがってゆく。
今回、化けてきたなぁと感じたのは、
狂気が宿ってきたことです。
もう、語っている内容を伝えるという第一義は
どうでもよくなったんですね。
落語は枝雀も追い求めたように、
日本人の精神性の核を暴きだすことにあって、
はなしの筋道などは二の次でいいのです。
もう登場人物さえ融けてなくなっていいんです。

鶴笑の語りをききながら、その格闘をまじかにみながら、
このジャンルはやっぱり年齢をかさねることでしか
でてこないおかしみがあることをまたひとつ教えてもらいました。