『プッシャー』3部作の悪について

ニコラス・ウィンディング・レフン。
デンマーク人。
24歳のときに監督した作品
『プッシャー』は1996年に公開。
『プッシャー2』 2004年
『プッシャー3』 2005年

プッシャ―とは麻薬密売人。
3部作をとおして、登場する人間すべてが悪人。
対立する善人、犠牲となる罪もない一般人。
この世界には、そういう人種は存在しないんです。
ヘロインを吸うか、売るか、騙すか、殺すか、
せこさと残虐性の多少があるだけです。

レジスタンスとして闘ったアルべール・カミュは
ナチスの強制収容所について、
協力する側につくかつかないか、などという
選択そのものが存在しない。
私が嫌っているのは暴力そのものではなく、
暴力の制度化である、と答えています。

その言葉をひいて、内田樹がかいています。
「暴力はこう言ってよければ、一種の自然過程です。
天変地異と同じく、それを人間の力で完全に制御
することは不可能です。でも、暴力を正当化するのは
人間です。暴力の行使にあれこれの理屈をつけたり、
理論的根拠を与えたりするような「よけいな仕事」は
人間にしかできません。」

パート2、ラスト。
麻薬まみれの若い父親が抱きかかえた裸の赤ん坊が、
未来社会に再生する繭となって
コペンハーゲンの闇に燦燦と光を放っています。