『ハウス・オブ・ヤマナカ』の時代の情熱

『ハウス・オブ・ヤマナカ』
~東洋の至宝を欧米に売った美術商~

この本を急に読みたくなったのは
ふたつのきっかけがあります。
9月あたまに、チャンパ王朝、フエ王朝への美術探訪。
あらためてアジア美術のすごさに圧倒されたことと、
これらが、どういう流通で世界の美術として認識されるように
なったのか?

もうひとつは、先ごろ大阪市立美術館での
「ボストン美術館 日本美術の至宝」展。
この企画展は、東京、名古屋、九州、大阪の4会場で
128万人をあつめたといいます。
話題の瀬戸内芸術祭が、春夏で予想上回るヒットで
70万人。秋には100万人突破と予想されていますが、
それでも、ボストンの100万超えの数字をみると、
日本の現代アート人気はまだまだ。

ボストンに日本の至宝があつまった歴史的経緯には、
山中商会がふかくふかくかかわっています。

日本美術を早い時点で評価した、フェノロサ、モース、ビゲローは
帰国後そろってボストンを拠点として活躍していました。

万延元年のころに、NYやロンドンで、
若冲や蕭白の値打ちを、異なる文化圏で
認知させ喧伝し売りまくった姿はたくましい。

美術は、人にさきがけてその価値を発見した者が
新たな文化を創造する。
アジアの古美術はいうまでもないが、
わけのわからない現代美術もまた、
それを理解しようとする者にだけ、
未来を創造するチャンスがある。

美術は


東京国立博物館で開幕し、名古屋ボストン美術館、九州国立博物館、大阪市立美術館にて開催してまいりました特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」