”沙汰の限り”なんて使たことがない

山本一力の食の随筆がおもろかったので
『男の背骨』を読んでいる。
タイトルとおり、男、親父が軽視される最近の
風潮をなげく気骨の文章。
妙に惹かれたのが、連発される<沙汰の限り>。
時代小説でお目にかかるが、週刊誌エッセイの類では
ついぞ出会わない言い回し。
大阪では聞いたことがない。
<沙汰の限り>はいつ頃まで日常で使われていた言葉か?
山本氏は高知出身だが、龍馬を生み出した武士言語地域では
いきていて、大阪の商人言語地域とは違うのやろか。

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◆ひとつとり ふたつとりては 焼いて食ふ
  鶉なくなる 深草の里 / 太田南畝