短歌や俳句になにができるか。
地震のあとに問われること。
がれきをとりのぞく太い腕が信頼できることも
一篇の詩があしたの希望をいだかせてくれることも
声高にいうこともない。粛々と。
俳句は役にたたない。無駄なこと。それでいいのだ。
というおもいで、四月の食句塾。
・波打っていびつな春の大縄跳び : 弥華蘭
大津波。平凡な日常を一気に丸のみする光景を
大縄跳び、とした比喩は見事。いびつな、がいいいすぎに
感じるが、それがなければ今回の天災の表現にはよめないかも
しれない。
ところで最後に作者は、発想はごくふつうののんびりした
縄とびのこと、津波なんて微塵も考えてない、と自解。
言葉の文芸に限らず、難解な現代美術でも、どう読み解くかは
受け手の問題。いかに感応するか、そして発酵してどんなかたちであれ、
感応しかえしていくことこそが、あえていえば有効性。
◆今回の食句賞
・輝くも翳るも白し大桜 : 翠胡
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次回 4・27(水) >> 季刊誌批評会
5・7(土) >> 春の吟行
兼題:腹(空腹・満腹など食欲系)
腹がたつ、腹が出る、はアウト