写楽大首絵で真っ先におもいうかぶのが
懐から両手をぬっとひろげてる<にらみ>役者。
これは三世大谷鬼次で後の二代目中村仲蔵。
わずか10カ月しか活動しなかった写楽という絵師は、
実は能役者、斎藤十郎兵衛である、という説を
筆のタッチまで再現して証明しようとする
テレビ番組がつい最近あった。
そんなこんな情報がアホな頭でシャッフルされて
いつのまにか、中村仲蔵と写楽がイコールになっていた。
さて、青嵐のなか京都春秋座の志の輔は
『中村仲蔵』である。
この噺のために、花道が設けられている。
歌舞伎の階級制:稲荷町・中通り・相中・名代:を説明し、
中通りになって<申し上げます>のひとことだけが言える取り次ぎ侍の役、
これが花道を七分目までタッタッタッタ、と走ってくる。
という風に懇切丁寧に、歌舞伎の世界を知らんもんにも、
いつか歌舞伎小屋にいるムードまで運んで行くんですな。
いよいよクライマックス、志の輔
「揚幕があがって、シャリィ~~~ン」といえば、
そのとたん、会場にその鉄環の音、響き渡り、
花道に、おお定九郎が走り出てくる、
みな一斉にその方向に目を走らせる。
単なる人情噺にしないとこが真骨頂。
安っぽい夫婦愛なんか消してしもて、
凄絶な芸のもがきに焦点を絞り込んだ
志の輔の芸。
今年2月の仁左衛門『盟三五大切』の殺しの美学も
ライブの歴史的名演でした。
歌舞伎役者はどっぷりとはまりこんだらええけど、
噺家は狂気の一瞬後には、軽い笑いで
お客さんこそばしたらなあかんとこあるから
もっとしんどい芸やと、つくづくきょうは思い知らされました。