浪花八百八橋の内、幕府の橋は12だけ。

朝鮮白磁の美を日本に紹介した浅川兄弟の特別展を
やっております<東洋陶磁美術館>へ。
入ろうとしたら、後ろから紳士が「これはどなたの銅像ですか?」

生まれも育ちもこの天満・中之島。
問われるまで100回いや1000回はここを通過してるけど
こんな銅像みたことない。

横に立派な石碑もありまして、昭和のはじめ
近代都市大阪の礎はこの人にあり、
という関一大阪市長の堂々たる像でした。
あな恥ずかしや。

北浜の角っこに五代友厚の像。これだけは知っとります。
しかし、はて銅像なるもの、大阪にそう無いのでは?
先のお二人の立派な大阪貢献はもちろん異論ないですけど、
銅像というちょっとエラそうなもんを大阪人は好かんはず。
難波橋のライオン像。通天閣のビリケンさん。
道頓堀に放り込まれたカーネルおじさん。
思い浮かべる像はこんなもんです。

大阪のエライとこは、民間で橋をつくってること。
浪花八百八橋の実数200として、幕府のつくった橋は
わずか12.あとはみんな町人のパワーでこさえた橋。
中央公会堂も株仲買人独りの民間の寄付。

大阪万博以後、大阪はパワーダウン。
あのときから、国がなんかしてくれるやろ、
とおもいはじめたんが間違いでした。

国がしてくれることを待ってたら、
東北の復興もあんじょういきません。