インスタレーションで3.11をかんがえる

マーティン・クリードのインスタレーションをみる。
みる、やのおてこの場合は体験するか。
でも、体験はシンドイ。もぅちょっと軽く、体感かな。

広い真っ白な空間の天井に小型照明がならび、
5秒ごとに点滅をくりかえす。それだけ。
壁面に影が映っているのも、点滅にかすかな音が
きこえるのも、それは作り手が意図したものではない、
どう感じようと、お気に召すまま。

この日は音叉のように響き合うものが発生した。

3.11以後、わたしたちはなにができるか?
この巨きな問いに対して、芸術ジャンルから
それぞれに性急な解答がだされてる。
けど、どれもが正解やろけど、どこかちゃう。

詩の言葉、美術の表現、それで今回の3.11の震災
や9.11の同時多発テロを予言していた、という風な
評価がいやというほどきかされる。
ほんとにそうかな?
とりあげてる方にしても都合よすぎへん?
3.11以後のここ数カ月、
やつぎばやの鎮魂のメッセージをこめた
アート作品、詩や短歌。
それが、なんの役にたつのか、という反論はもちろん
承知の上で、それぞれに苦しんで発信しているんでしょう。
ただ、そう簡単に答え急がんでもええ。
なんかヒステリックで、ヘンです、変。

抽象性のたかい現代芸術は、あなぐらにはいるこむばかりで
こころに響くところから離れていってるという考えはいつの時代も
よおききます。たしかにそうやとわたしもおもてます。
せやけど、たまぁにわけのわからんアートに接して
人間てなんにゃろめ。