空海はなにものだ

空海と芭蕉。加えるなら利休。

いずれもあやしい。
エネルギーが猛々しい。

『空海の風景』。
司馬遼太郎の1975年に書いたもの。

密教はインドのバラモン教の流れをくむ
後発宗教である。
それをたかだか無名の青年僧侶が持ち帰ったものが
とうとうと21世紀のいまもお遍路の同行二人になるほど
浸透しきっていることが不思議でしょうがない。
密教は中国でもインドでも消滅し、
支流がチベット密教となって存在するだけ。
どうして、奇妙奇天烈なアート曼荼羅が
すんなり日本人のこころにはまったんでしょうか。

神秘主義や呪術的要素は本来異端。
日本人の血の系譜は、静謐、閑寂、禁欲と
相場がきまってます。
縄文文化にはじまる情熱のパッション、
こっちが本流やったとすればおもろい限り。

司馬遼太郎の空海分析は、わかりやすく
日本人の魂の大奇人に対して、敬愛にあふれてる。
性的なことに関しても、丁寧な記述がくりかえされる。
理趣経の教義などはもちろんやけど、
最澄と泰範の関係や性的密教におちいった
真州立川流まで丁寧追跡をしていて参考になる。

おりから、東京では空海展をしてるようで、
その関連で、マスコミでの空海特集が多い。
BSで石川九楊が、空海の書体を分析。
ひらがなが発明される現場はここ、という
指摘は刺激的でした。

曼荼羅といえば、復興書店第16号。
安藤礼二さんの<熊楠の粘菌曼荼羅論>が
おもろいですよ。