石川九楊の『源氏物語書巻五十五帖』

「何という文を書いたかではなく、どのように書いたか、
つまり、文の書きぶりを第一義とする表現が書である。」

現代日本の誇るべき奇人は、数少なくなったが
その一人は、石川九楊。

従来の退屈な<書道作品>からは、詩の世界は
滑り落ち詩を著しく辱める、とまで追い詰める。

『源氏物語書巻五十五帖』をみたのは3年前になる。
なにを書いてんのか、さっぱりわかりません。
石川は、書を単純に絵画とみなす姿勢にも強く反発している。
京都博物館で55枚をながめながら、なにか頭の中を
大きな蜘蛛ががさがさとはいまわっているような
記憶だけが残った。

名和晃平のドローイングのやわらかな浸食。
草間弥生の網目の増殖。
ここんところ、接触する現代アートから、
アンリミショーを連想したりするうちに
ぼわ~んと、石川九楊の書がよみがえってきた。

いま、あらためてながめると、
ブラックにゆらめく笑い、ほとれもつれからみつくエロス。
謎をひめた書は、源氏を現代のものがたりとして
よみがえらせてくれる。

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【タイム食首】
死後ひとは観客席にゆくんじゃないかしら 拾ったねぎもおつゆに
: 雪舟えま