岩下尚史さんの本を読んでいると
歌舞伎を観るシーンがよくでてきます。
気分がなんとなく浮足立って、
愛之助、獅童のでている松竹座に突然いきたくなりました。
当日券のあることを確認して、そうや着物に着替えて、
夜の部へ。
『義経千本桜・すし屋』『研辰の討たれ』
観終わったあとは、飲み屋で一献。
そこのママは新地で芸妓をしていたので、
語り口調がやろこうて気持ちええんです。
歌舞伎を観ることの要素は、作品の中身も
もちろんですが、観劇前、観劇後の気分の高揚が
一番だとおもっています。
二月の公演に関していえば、関西歌舞伎隆盛と批評で
もてはやしていても、作品はつまらない。
染五郎含めた三人が舞台で走り回って熱演、といっても
なんの工夫もなく、仮にこの人気役者でないとすれば、
極めて退屈。
会場は年齢層が高い。若い層が観る魅力がない。
歌舞伎文化は劇場舞台の背景として、江戸時代から
つづく非日常のケレン味ある時空間に身をしずめる
ことにある。しかし、今は劇場でもはなやかな着物姿も
少ない。幕間にちょっと気張って松花堂弁当をたべるかわりに
コンビニのおにぎり。
外周の文化も消えゆくばかり。
ちょうど1年前の二月公演が、『盟三五大切』。
このときの仁左衛門は殺し殺しで文字通りの
血の凍る舞台。劇場ばかりか大阪中が音の無い廃墟に
なったかとおもうほどの名演でした。
めぐりあえるのは、20年に1回ぐらいでしょう。
恋も人生もそんなものです。
次は次はと期待しつつ、むなしさを確認するために
歌舞伎は観るものなんです。
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【タイム食首】
端的に言ふなら犬はぬかるみの水を飲みわれはその水を飲まぬ
: 奥村晃作