短歌共同体への気持ちの悪さ

金井美恵子が現代短歌批判をしたことで
「短歌研究12月号」座談会で穂村弘が発言している。

島田修三は、たいしたこともない短歌を例にあげて
批判をすすめていく方法に反論する。
それに対して、穂村は
「他に本当にいい歌があるということで反論になるのかなあ
という気もするんですよ」とふってから、
「(~略) 短歌は微妙に流派があるといえばあるけど、
そこまではっきりあるわけじゃないし、段や級があるわけじゃないけど、
欄によって、偉い欄や、ちょっと初心者の欄があるみたいな。
その共同体と表現との微妙な関係のすべてが気持ち悪いと言えば
気持ち悪いわけです。また、これまでは結社と皇室のパラレルな感じ
とか相似形として漠然と感じられていたところが、たとえば永田家は
歌の家という形で、今回はっきり可視化されたところがあって、
金井さんはそこを意識したんだろうと思います。」

漠然としたものを的確につかまえてテーブルにおいた発言です。
さらには
「大昔からクライアントが天皇で、コピーライターが
人麻呂や額田王で、合ってますね」