お造りのツマに莫大海がちいちゃいサイコロ状に
添えてあったるすると、刺身そのものの鮮度まで
よおなってくる。
この<莫大海>を知ってる料理人もすくのうなってるでしょう。
刺身のつまの代表は大根のケン、ほかに莫大海、水前寺海苔、岩茸
などがあしらわれていた。いずれも、単にかざりやのおて
生魚のなまぐさをさっぱりする役もきちんとはたしてます。
高級割烹を食べ歩いて詳しいわけではないです。
和田萬で商い品目として、これらが乾物屋には
おいてあったんです。
莫大海はそもそもなんですか?
中国から輸入していた木の実。
柏の樹からとれるもんやけど、日本の柏と種類は
ちがいますよ。
というところまでが、天満の乾物屋のものしり度でした。
アーモンドをふっくりしわしわさせたような外観。
それがおどろくべき変態となります。
コップの水にいれると、たちまち繊維がほぐれて
コップ一杯の褐色のセリー状になります。
そのままもよし、冷やし固めて立方体にカットして
そえれば、元の姿からは想像できない雅で瀟洒な
盛り付けの演出ができます。
暑い時期は昼寝のお供に禅の公案の本をよんでます。
「達磨さんがインドから中国にやってきたのはなぜですか?」
「それは、庭の柏の樹です」
この禅問答を解くんですな。
いろいろあるなかでも最も代表的な公案に登場するぐらい
一般的な樹木が、柏なんですね。
このふたつが、突然にむすびつきました。
そや、中国の柏や。
元の樹の実からは、おもいもつかないものに
変身して、山のものが海のものに奉仕すると
いう解釈はおそらく禅僧のだれにもなかったと
おもうんですが、これはどうでしょう?
禅のおもろいとこは、いろんな個別のやりとりを
あつめてきて、そこから普遍的な真理をふるいだして
さとりとするようなことはしません。
ただ、まとめてきてそのまま記録に残していく。
問答は理解するためにあるんやないようです。
「一匹の大きな象が、窓からでていった。
長い鼻もでっかい耳も山のような胴体も外に
でたのに、最後ちっちゃい尻尾だけが、窓に
はさまれてでられへん」
これを大象さん、あんたはどう解釈しますか?、
とせまってこられるとこで、
昼寝の夢から覚めました。
「なんぎな尻尾、持ってます」