秀吉<醍醐の花見>の舞台裏

梅原猛『空海と真言密教』。
これは<京都発見>シリーズで書かれたものなので、
空海自身のことよりも、空海以後の流れとして、
真言密教の寺を紹介している。

醍醐寺といえば、秀吉の<醍醐の花見>。
朝鮮出兵がうまいこといかんから、秀吉は神だのみ。
戦勝祈願なら真言密教ということで醍醐寺に依頼。
お寺もしたたかで、それやったら立派な伽藍も建てくれんと
、なんてやりとりがあって、そのデモンストレーションの一環が
<醍醐の花見>。
電通さんがいっちょうかんで、ド派手にやりまひょか。
秀吉の後宮の女たち1300人も参加、三回衣装替えして
京の呉服商が大儲けした。
花見の2ヶ月後には病に倒れ、8月には死んでしもたとさ。