14,5本の鶏頭は?

・鶏頭の十四五本もありぬべし : 子規

この句を弟子である虚子が最後まで
認めなかった話は有名である。

子規庵での病床からの即興句。
仲間内の俳人たちは見過ごし、子規本人にも
秀句との認識はなかった。
たまたま歌人の長塚節が発見し、それをきいた斉藤茂吉が
世に知らしめた経緯がある。
虚子はその後、子規句集編集のとき、
2306句を網羅したにもかかわらず、
頑迷にこの句を拒否した。

月刊誌『短歌研究』に連載されていた
関川夏央さんの『子規、最後の八年』が出版された。
三枝昂之さんとの対談で、この句とそれに関して
子規と虚子との夕顔論争もひっぱりだしている。
夕顔の花が咲いている。子規は『源氏物語』の連想を
取っ払ってシンプルに花の美しさを、と言うのに対して
虚子は歴史の連想ははずせない、と反論した。

この対談で関川は
「歌の世界を見ていると、作り手と読み手の間に
必ず、この歌はよいという人がいる。」
三枝は、作者が歌を作ったというだけではその歌はまだ未完成で、
句会や歌会が不可避なシステムとして存在する、
とフォロウしている。

食句塾に
「鶏頭の十四五本もありぬべし」とでてきたら、
はたして、正選逆選はどうなるでしょうか?