俳句が句会で直される。
直された句はそのまま作者の句になる。
それが俳句の伝統だ。
俳句は作者が作り、読者も作る。
そういう共同作業が俳句なのである。
こう書いているのは坪内稔典さん。
寺田寅彦の俳句を例に。
・栗一粒秋三界を蔵しけり
岩波書店の寺田寅彦全集に掲載されている。
しかし、これは
・粟一粒秋三界を蔵しけり
粟の小さいものが巨大な世界をかかえもっている、という
テーマの随筆の末尾にある句なので、こちらが正しい。
ここから、稔典さんの論がおもしろい。
原稿整理の編集てちがいだろうけれど、
粟が栗にまちがって有名になってしまった。
しかし、粟だと理屈が通りすぎで、栗の方が生き生きとしている。
これは、読者の推敲、あるいは添削と考えたい。
寅彦さんも、おそらくにっこりして納得されるだろう。
学者先生なら、
間違い発見で本来の作者通りに修正すべき、
というところでしょう。
さすが、稔典さん。